
2025/12/19
精神科は「全人的ケア」が当たり前の現場

姫路北病院・院長が語る、ぶつかり合いから生まれた組織と、離職の少ない精神科看護の魅力
兵庫県姫路市の北部に位置する姫路北病院。
1966年に開設され、約60年にわたって地域の精神科医療を支えてきた。
院長は1997年に着任してから28年以上、四代目としてこの病院を率いてきた精神科医だ。
かつて神戸大学の精神科講師として働いていたが、前任の院長が退任するタイミングで後任として白羽の矢が立った。
「歴史があるのは、うちだけの話ではありません。他の精神科病院も同じような年数を重ねています。私がやってきたのは、その土台の上にどんな組織をつくるかという部分です」
そう前置きしたうえで、院長は三つの大きな改革を振り返る。
「鉄の扉から木の扉へ」三つの改革
着任後、院長は病院全体を揺らすような改革に踏み切った。
一つ目は、人事評価制度の一新だ。
それまでの評価方法をやめ、目標設定とフィードバックを双方で確認し合う、新しい評価制度を導入した。
一方的に評価されるのではなく、職員が自分の目標を語り、結果を一緒に振り返るスタイルだ。
二つ目は、病棟や外来の環境改善である。
かつては精神科病院の象徴でもあった鉄の扉を、できる限り木製の扉に変えた。
閉ざされた空間ではなく、人が行き交い、光が入る病棟へ。
見た目だけでなく、患者や家族が感じる印象も変えたかったという。
三つ目は、日本医療機能評価機構による外部評価を自ら受けにいったことだ。
病院の質を第三者にチェックしてもらうことには、当然ながら時間的・精神的な負担が伴う。
「この三つを同時に進めたものですから、職員の負担は一気に増えました。当時は『今度の院長は何を始めるんだ』という空気もあったと思います」
反発も多く、最初の五年間は職員と激しく議論する日々だった。
しかし院長は、その時間こそが最大の財産だと話す。
「最初から表面だけ仲良くしても、本当の意味で分かり合うことはできません。お互いが何を大事にしているのか、ぶつかってやっと分かる部分がある。あの五年間があったから、今の組織づくりは早かったと思っています」
基本理念の中心にあるものは「人材育成」
姫路北病院には三つの基本理念がある。
安心・安全で質の高い医療を提供すること。
地域に開かれ、地域とともに歩む病院であること。
そして、人材を育てること。
院長が一番大切にしているのは、最後の人材育成だ。
「組織というのは、人材さえ育っていれば、トップが代わっても自律的に成長していきます。だから三つの理念の中でも、人材育成が一番大事だと考えています」
実際、近いうちに院長のバトンは後輩に引き継がれる予定だ。
継承にあたって、細かく口出しするつもりはないという。
「院長を任せた以上、横から口を出すのは失礼だと思っています。何が大事かは、もう共有できているはずです。表現の仕方やスタイルは、それぞれの個性で良い。私と違って穏やかで物静かな院長になる予定ですが、それもきっと新しい良さになるでしょう」
そして最後にこう付け加えた。
「患者さんを大事にするなら、まず職員を大事にしてほしい。この点だけは、新しい院長とも共有できていると信じています」
精神科医療の面白さは「公式がない」こと
インタビューの中で、最も熱がこもったのが精神科医療の魅力について語る場面だった。
「大きな総合病院では、手術室のシーンなどが注目されますよね。ドラマでも、オペ室でメスを渡しているナースや医師がよく描かれます。でも現実の医療は、ああいう場面だけではありません」
精神科の特徴は、原因が完全には分かっていない病気が多く、病気と機能障害が表裏一体で現れるところにある。
それゆえに、自然と全人的なケアを求められる。
「精神科は、わざわざ『全人的医療』と言わなくても、患者さんの人生全体と向き合わざるを得ません。今の状態だけでなく、これまでの生き方、家族の状況、地域の支援資源まで含めて見ていく必要がある。家族の協力も欠かせません」
もう一つの魅力は「公式がない」ことだという。
「こういう病気にはこの治療というガイドラインはありますが、その通りにいかないところが面白いんです。同じ病名でも、患者さんの個性や人生が違えば、かかわり方も変わる。こちらが考え抜いて選んだアプローチがうまくはまり、患者さんが良くなっていく。それが一番の喜びです」
そこでは医師だけでなく、看護師、心理士、ソーシャルワーカーなど多職種が同じ目線で関わる。
「うちには上から目線のスタッフはいません。患者さんの問題解決が中心にあって、みんなが遠慮なく意見を出す文化があります。私の意見に何でも『はいはい』と言う人は、正直あまり信用していないんです」
時には院長に対して真っ向から反対する意見もある。
それを歓迎する空気が、組織の緊張感と創造性を支えている。
離職率の低さに驚かれる病院
姫路北病院は、離職率の低さでも知られている。
保健所や日本医療機能評価機構からも、入院継続率や離職率のデータを見て驚かれるという。
「他の病院と比較したことはなかったのですが、外部の方から『離職率がとても低い』と言われて、初めて気づいたくらいです。これは職員のおかげです」
院長のモットーははっきりしている。
「私の立場は『職員あっての院長』です。一人では何もできません。職員への感謝を忘れないことが、何より大事だと思っています」
精神科は、ライフワークバランスの取りやすさから選ばれることも増えてきた。
昔は他科で働いた後に、残業の少なさを求めて精神科へ転職する看護師が多かったが、今は看護大学や専門学校を卒業してすぐに精神科を選ぶ若者も増えている。
「四十年前、私が精神科医になった頃は、精神科は人気がない分野でした。それが今は、若い世代が興味を持ってくれるようになった。精神科の面白さが、少しずつ伝わってきているのだと思います」
若い世代へ正直に伝える採用・広報の工夫
看護師の採用に向けて、病院としての工夫も続けている。
ホームページでは、YouTubeを活用して院内の様子や取り組みを紹介。
若い職員が中心となり、ときどき院長も素顔のまま出演しているという。
院内の一角には、就職説明会用のスペースもある。
そこに現役一年目、二年目の若手看護師を招き、看護学生を前に率直な体験談を話してもらう。
「良いことだけを言いなさい、という指示は一切していません。大変なことも含めて、そのまま話してもらっています。病院として発言を制限することはないですね」
コロナ禍で地域全体の就職説明会が中止になる中、個別の見学や説明の機会を丁寧に設けてきた。
「良いことばかり並べて、入職してから違ったとなれば、それは不誠実です。あることだけを、良いことも大変なことも含めて伝える。それが信頼につながると考えています」
少子化時代でも「いぶし銀」のような病院でありたい
将来の展望を尋ねると、院長は真剣な表情になった。
「少子高齢化は、病院だけの問題ではありません。社会全体の構造です。だからといって、悲観ばかりしていても仕方がない。私たちも変わらなければいけない部分は多いですが、今の医療制度の枠組みでは、頑張れば頑張るほど報酬が伴わない場面も少なくありません」
外来でできる限り支え、再入院を防いでいるという自負はある。
しかし、経営指標の上では必ずしも評価されない。
「良い医療には、きちんとした報酬が必要です。乱暴な医療ではなく、丁寧な医療に対して、当然の対価が支払われる仕組みになってほしいとは思います」
とはいえ、その制度を嘆くだけで終わるつもりはない。
「一気に何かが変わることはありません。愚直に、地道に、地域で必要とされる精神科医療を続けていく。その中で『ここに来ればちゃんと診てもらえる』『対応が親切で安心できる』という方を一人一人増やしていくしかないと思っています」
目指すのは、地域にとって「なくてはならない、いぶし銀のような存在」だという。
「大切な家族や友人が困ったときに、少し遠くても『姫路北病院で診てもらおう』と思ってもらえるような病院でありたい。それが、人口減少の時代に生き残る唯一の道だと考えています」
最後に、看護師に伝えたいこと
インタビューの終盤、院長は職員への思いを語った。
「うちの職員は皆、真面目です。真面目すぎて、こちらがブレーキを踏まないと燃え尽きてしまうのではないかと心配になるくらいです」
だからこそ、働きやすさや人間関係の良さを何より大切にしてきた。
「職業としての条件だけでなく、一緒に働く仲間との関係が一番大事だと思います。そのうえで、待遇ももっと良くしてあげたいという気持ちは、いつも持っています」
精神科医療に興味がある人も、ライフワークバランスを大切にしたい人も、この病院で、自分らしい看護を見つけてほしい。

姫路北病院
西野直樹


