
2026/5/13
診療報酬改定時代の看護師採用ー後手に回る病院が陥る“負のスパイラル”

診療報酬改定による「賃上げの必要性」と人件費の高騰は、多くの病院の経営に大きな影響を与えています。しかし、賃金の引き上げだけでは人材確保は難しく、採用や定着の在り方そのものの見直しが求められています。
一方で、医療現場では日々の業務に追われ、採用戦略が後手に回っているケースも少なくありません。その結果、離職と採用を繰り返す“負のスパイラル”に陥る病院も見られます。
診療報酬改定を起点に病院経営・看護師採用の課題を整理し、持続可能な採用戦略のあり方について、株式会社日本経営組織人事コンサルティング部課長の馬渡美智さんにお話を伺いました。
診療報酬改定と人件費増が病院経営に与える大きな影響とは
−2026年度、「賃上げ」を推進する診療報酬改定に大きく転換した背景には何があるのでしょうか。
背景にあるのは医療業界における深刻な人手不足です。日本社会では様々な業界で賃上げが続いており、医療職の資格を持っていてもより高収入を得られる他業種に就職する人材が増えているのが現状です。一方、高齢化によって医療の需要は高まっていることで、看護職員をはじめとした医療従事者の人材不足は重要な社会問題となっています。
今回の改訂では、看護職員やその他の医療関係職種の人材確保・賃上げを推進するため、外来・在宅ベースアップ評価料および入院ベースアップ評価料が拡充されました。
経営者にとって極めて重い現実となるのが、継続的な賃上げの取り組みを行っていない病院に対する入院基本料等からの減算規定です。2024年3月比で継続的賃上げが行われていない場合、特定機能病院入院基本料等で1日につき141点、急性期病院A一般入院基本料等で121点が所定点数から差し引かれます。さらに、これらのベースアップ評価料や新設された物価対応料は、令和9年(2027年)6月以降に所定点数の2倍に引き上げられるなど、中長期にわたる段階的な賃上げが求められています。
−人件費の増大は経営にどの程度影響しているのでしょうか。
過去10年間で人件費率は約5%上昇していると言われており、大きな影響が出ていると思います。改訂におけるベースアップ評価料の拡充によって3%程度の賃上げができるのではないかと言われていますが、他の業界を見ると3〜5%の賃上げが行われていますので、ベースアップ評価料だけでは他業界に追いつかない現状にあるかと思います。
−賃金引き上げにおける注意点はありますか。
経営者は賃金を引き上げる際、「一律のばらまき」という安易な手段を避けなければなりません。学術的なエビデンスによれば、貢献度に関わらず一律の賃上げを行うことは、優秀な職員ほど不公平感を感じるようになり、努力の抑制や人材流出を招き、結果として組織を弱体化させます。個人の貢献や役割に応じたメリハリのある配分を行い、評価プロセスの透明性を確保することで、優秀な人材を引き付け定着させる人事制度の再構築を迫られています。
また賃金引き上げさえ行えば人材が確保できるというわけでもありません。賃金は生活における重要な要素ではありますが、それだけでなく、ライフスタイルの変化があっても働き続けられる職場かどうか、人間関係が良好な職場かどうかなど、自身が望むキャリアが実現できる環境作りが求められています。
なぜ採用は後回しにされるのか。定着率の低い病院が引き起こす負のスパイラル

−多くの病院で採用が「後回し」にされる背景にはどのような組織的・文化的要因があるのでしょうか。
組織的な面としては、特に中小規模の病院には大規模な組織のような人事部が存在しないことが挙げられます。総務が給与計算、施設管理の片手間に採用を行っていたり、看護部長や診療科長等の現場のトップが本来の業務の合間を縫って面接や求人対応を行っていたりするため、物理的に採用活動を前に進めるリソースが足りていません。
文化的な面としては、マネジメントより専門スキルを尊重する職員気質があることが一因ではないかと考えます。病院内では医療の質に直接関わる、医師や看護師としての臨床スキルをまず磨く必要があります。そのため、組織作り、チームマネジメントといったビジネススキルの習得は後回しになってしまったり、「それは事務の仕事だ」と切り離して考えたりする場合が多いのが特徴です。
−働く環境の整備が進んでいない現状にはどのような背景がありますか。
やはり人手不足が影響していると考えます。人材を選ぶ暇がなく、自院と人材のマッチングが十分に行われないため、採用後にギャップが生じ早期退職に至るケースが多いのです。
定着率が低いと退職した従業員を新たに補充するための採用コストや、一人前に育成するまでの教育コストが発生します。特に欠員補充のための紹介会社への手数料は経営を大きく圧迫しており、手数料で年間数千万円を支払う医療機関も増えています。
欠員が生じると、一部の職員に過度な業務負担がのしかかります。この皺寄せは現場を支えている優秀な層に集中しやすく、過労や燃え尽き症候群、さらには精神疾患のリスクをもたらします。人員不足による現場の多忙や疲労は、医療事故のリスクを高めるだけでなく、患者の治療成績の悪化といった好ましくない結果を招く恐れがあります。これは最終的に、地域における病院の評判や信頼の失墜に繋がります。
また日々の業務に追われる医療現場では育成に十分な時間を割けなかったり、患者の前で雑談をしにくい・縦割り業務によって他部門との会話が生まれにくかったり等、環境要因によるコミュニケーション不足が「働きにくい職場」を生み出しています。
定着率を上げるキーポイントは「ミスマッチ解消」と「ナナメ」のコミュニケーション

−負のスパイラルを打破するため、何から着手すれば良いでしょうか。
医療機関が求める人材像を明確にし、紹介会社で一定数の人材を確保しつつも、自院で人が雇用できるようなマーケティング体制を整えること。また紹介会社を利用する際にも誰彼構わず採用を行うのではなく、自院が積極的に求める人材像を発信し、定着率の高い人材を確保していくことが重要だと思います。
そして何より大切なのは、定着率の向上、「辞めない職場作り」に取り組むことです。高い給与を確保できない中小病院でも、中小ならではのアットホーム感、助け合いの風土を醸成していくことができます。
−人材紹介会社でもより良い人材を紹介してもらうためのコツはありますか。
人材紹介会社との付き合い方において重要なのは、「任せきりにしないこと」だと考えています。
まず、自院がどのような人材を求めているのかを、具体的かつ積極的に伝えることが必要です。待遇面については多くの医療機関が開示されていますが、それに加えて、「どのようなカルチャーの組織なのか」「何を大切にしているのか」「どこが自院の魅力なのか」といった点まで、紹介会社としっかり共有できているケースは、実は多くありません。
特に重要なのが「カルチャー」です。入職後に職場に馴染めるかどうかは、このカルチャーに大きく左右されます。たとえば「アットホームな職場」といっても、その捉え方は人それぞれであり、具体性に欠けるとミスマッチの原因になりかねません。
そのため、「自院はどのような価値観を大切にしているのか」を明確に言語化し、それに合う人材を紹介してもらうことが重要です。誰でもよいから紹介してもらうのではなく、「自院にフィットする人材に絞って紹介してほしい」と依頼することで、結果としてマッチングの精度が高まり、定着にもつながると考えます。
−組織改革に取り組む病院の好事例はありますか。
若手看護師を対象に、メンター制度を導入している医療機関があります。特徴的なのは、同じ部署ではなく他部署の先輩がメンターを担当する点です。これにより、直属の上司には相談しづらい悩みも打ち明けやすくなり、心理的安全性の高い環境が生まれます。その結果、制度導入から2年で離職率がゼロになったという事例もあります。
定着率が向上すれば、採用にかかるコストを抑えることができ、その分を人材育成や生産性向上への投資に充てることが可能になります。また、働きやすい職場環境の実現は組織の魅力向上にもつながり、さらなる人材獲得を促進します。このように、定着率の改善は好循環を生み出す重要な要素だと言えます。
−こういった取り組みを増やしていくためのポイントはありますか。
まず重要なのは、「小さな成功体験をつくること」です。病院全体で一気に取り組もうとすると、どうしても労力が大きくなり、現場への負担も増えるため、実行のハードルが高くなりがちです。
一方で、ひとつの部署や病棟で成功事例を作ることができれば、それを他部署へと横展開しやすくなります。そのため、まずは限定的な範囲で取り組みを始め、成果を可視化することが第一のステップになります。
また、何かを変えようとした際に、積極的に賛同してくれる人や、日頃から課題意識を持っている人がいる部署は必ずあります。そうした影響力のある人材を起点に、その部署からトライすることで、取り組みはうまく進みやすくなります。
そこで生まれた成功事例をもとに、その中心人物にリーダーシップを発揮してもらい、組織全体へと広げていく。このような段階的な推進が、取り組みを定着させるうえで有効だと考えます。
−改定時期に経営者が優先して取り組むべき採用上の視点とは何でしょうか。
診療報酬改定のタイミングは、「自院がどのような人材を求め、どのように報いる組織なのか」を再定義し、発信する絶好の機会です。
今後の採用戦略においては他院との単なる給与額の競争に陥るのではなく、自院ならではの組織文化や働く価値を明確にし、伝えていくことが不可欠です。優秀な人材が自発的に集まり、定着したくなる組織文化をいかに構築できるか。その視点こそが、これからの病院経営において最も重要になると言えるでしょう。

馬渡美智 氏
株式会社日本経営 組織人事コンサルティング部・課長
従業員数500名規模の事業所で、総務・人事業務に従事した後、日本経営入社。入社後は組織人事コンサルティング部門に配属され、労務管理体制の調査・整備業務、組織活性化支援、人事制度の導入・運用支援、管理職研修、職員研修等に従事している。社会福祉協議会、各種団体等での講演やセミナーも多数行っている。 社会保険労務士有資格者。



.jpg?w=3840&fit=max&fm=webp)

