2025/11/21
離職率が兵庫県平均を下回る理由。神戸海星病院が外国人スタッフと築いた「多様性のチーム医療」

神戸の海を望む高台に立つ神戸海星病院。その看護部を束ねるのは、副院長兼看護部長の篠原氏。
看護師を志したのは、この仕事に強い憧れがあったからではない。むしろ、最初は別の道を目指していた。
「本当は芸大に行きたかった」から始まった看護のキャリア
高校生の頃に考えていた進路は、芸大だった。デッサンを描き、油絵に向き合い、グラフィックデザインの世界に興味を持っていた。
「親から『ちゃんと真っ当に生きてほしい』と言われて。初めて強く進路に口を出されたんです。」
のびのび育てられてきたからこそ、親の不安も理解できた。そこで「海外で働ける専門職」という視点から、篠原さんは看護師の道を選ぶ。
「英語が話せる看護師になれば、技術も身につくし、国を越えて働けるかもしれない。そう考えました。」
大阪の看護学校を卒業したあと、付属病院に就職した。とりあえず三年、「頑張ってお金を貯めて留学する」と自分の中で決めた。
その約束どおり、看護師として働いたのち、イギリスへ留学する。語学学校に通いながら、施設でのインターンシップに参加し、現場に立った。
看護師が楽しくなさそうなら、患者も楽しくない
イギリスでの経験が、看護への向き合い方を大きく変えた。
「それまで、自分は看護を楽しんでいたかと言われたら、そうではなかったと思います。仕事としてこなしている感覚が強くて。」
インターン先の施設で、ある患者からこんなことを言われた。
「あなたたちが楽しそうに仕事をしてくれないと、こっちは残された時間を有意義に過ごせないよ。」
看護師がどう働いているか、その姿は患者にも伝わる。
その言葉に、篠原さんはハッとする。
「看護をやるなら、私自身が楽しさややりがいを感じないといけない。そうじゃないと患者さんにも伝わらない。」
日本に戻ってからは、公立の大きな病院に再就職し、急性期医療の現場で緩和ケアを含めた多くの患者と向き合った。看護への熱を持つ仲間にも恵まれ、「看護も悪くないどころか、面白い」と本気で思うようになっていく。
その後、再びアメリカの大学に渡り、英語や一般教養を学ぶ時期もあった。
紆余曲折を経て日本に戻ってきたとき、英語を活かせる病院として紹介されたのが神戸海星病院だった。ここで看護師として働き始め、やがて副院長兼看護部長となる。
「みんな違って、みんないい」多様性を前提にした組織づくり
現在の篠原さんの価値観の中心には、「違っていて当たり前」という感覚がある。
海外生活の経験が、その土台になっている。
「日本は『みんな同じ』で安心する文化があると思います。でもアメリカに行くと、違っていることが認められる。それがとても心地よかった。」
金子みすゞの詩「私と小鳥と鈴と」に出てくる「みんな違って、みんないい」という一節が、ずっと心に残っているという。
「自分も『違う存在』として認められたいし、ほかの人の違いも大事にできる組織でありたい。」
その思いから、対話を重ねながら価値観を共有し、役割を分かち合える組織づくりに力を入れてきた。
看護補助者が来ない時代に、外国人採用で道を開く
篠原さんが看護部長として最初に直面したのは、「看護補助者が決定的に足りない」という現実だった。
「日本全体の問題ですが、待っていても看護補助者は来ない。人が足りないから看護師が何でも抱え込み、忙しくなり、過労になり、さらに辞めていく。負のスパイラルになっていました。」
そこで踏み出したのが、外国人の看護補助者を採用する決断だ。
海外で看護師免許を持つ人材を中心に採用する方針を取り、少しずつ受け入れを進めていった。現在では、約20人の外国人看護補助者が病棟で働いている。日本人の看護補助者も合わせ、体制は大きく変わった。

「よく『外国人を採用するってどういうことですか』と聞かれます。でも、私の中には“集団としての外国人”というイメージはあまりありません。外国人であっても一人ひとり違うし、日本人も同じです。」
「みんな違って、みんないい」という視点から、国籍ではなく個人を見る。
管理職や師長たちにも同じ目線を持てるように伝え続け、今では多様な背景を持つ職員が協力しながら働く体制が整ってきた。
言葉の壁は「一緒に学ぶ」ことで越えていく
もちろん、言語の壁はある。
しかし、篠原さんは「わからないから外す」というやり方は取らなかった。
自身も英語が十分ではない状態で海外の医療施設に入り、現地スタッフに支えられながら仕事をしてきた経験がある。
そのとき、「外国人だからと特別扱いされるのではなく、分からないなりに努力すること」「周囲も、できる範囲で支えること」が大切だと実感した。
「わからないから研修に参加させない、というのでは一生うまくならないんです。」
日本語が十分でない職員にも、あえて研修に参加してもらう。資料にはふりがなを振り、日本語の表示も工夫し、「優しい日本語」で話すよう院内全体に呼びかける。
分かるところから少しずつピックアップし、補足説明をし、繰り返し伝えていく。
そうした積み重ねの結果、外国人職員は戦力となり、病棟の「共同体」の一員として働いている。
患者の中には、英語のみを話す人もいる。
そうした場面では、英語を話せる看護補助者が案内役や通訳として力を発揮する。
現在、看護師として働く外国人職員は中国出身者が一人。日本語能力試験N1など制度面のハードルは依然高く、EPAを通じた育成も必ずしも順調ではない。しかし、それでも篠原さんは「外国人人材は、これからの医療現場に必要な存在だ」と考えている。
「介護施設ではすでに多くの外国人が働いていますが、急性期病院ではまだまだ採用が進んでいません。意見はいろいろあると思いますが、必要な場所には、必要な外国人をきちんと採用していくべきだと思います。」
教育と目標管理が、離職率を下げていく
人材戦略のもう一つの柱が、教育と目標管理だ。
神戸海星病院には、十数年前から続く独自の「エデュケーションシステム」がある。新卒だけでなく、既卒の入職者も対象とし、先輩が後輩に付き添うシャドーイングと、後輩の仕事を先輩が見てフィードバックする「逆シャドー」を組み合わせて、現場での学びを積み重ねている。
さらに、看護部全体でBSC(バランススコアカード)を用いた目標管理を行っている。
役割ごとに目標と成果指標を明確に設定し、達成度を共有する。成果が出れば、皆で喜ぶ。
「自分たちの部署が今どういう状態なのかを、管理者だけでなくスタッフ自身が把握していることが大事だと思っています。」
十分な看護補助者配置によって看護師が専門性に集中できるようになり、残業時間も減ってきた。
その結果、離職率は徐々に低下し、今では兵庫県の平均よりも低い水準になっている。
新卒と既卒、どちらも採用してきたが、最近は離職が減った分、採用枠をやや絞りつつある。
「人が定着してきたからこそできる調整」だ。
看護は「アート」だ。違う人を違うまま支えるために
篠原さんは、看護に「アートの要素がある」と考えている。
「アートには『創造力』が必要です。人はそれぞれ違う環境にいて、抱えている困難も一人ひとり違う。その人がどうすれば働きやすい環境を作れるかというところを柔軟に考える必要があります」
ある程度のルールは必要だが、その上でその人に合う形で提案し、必要ならシステムの方を調整する。
その繰り返しが、看護の現場には欠かせないと感じている。

「私自身も、人生でいろんな出来事がありましたが、この病院はもともと変化に柔軟な組織だったので、状況を理解してくれました。創造力の豊かな人たちのアイデアを聞き入れ、実現してくれる文化があったからこそ、長くここにいられたと思っています。」
その経験から、現場の看護師たちが持つアイデアや工夫の声を大切にしている。
コロナ禍では、その力が特に発揮された。
コロナ病棟で生まれた「バイタルック」とロボット掃除機の組み合わせ
新型コロナウイルス感染症の流行時、神戸海星病院も感染患者を受け入れた。
どうすればスタッフの安全を守りつつ、患者の状態をしっかり把握できるか。現場からはさまざまなアイデアが出てきた。
同院はセコムの提携病院であり、在宅医療向けの遠隔診療システム「バイタルック」を使っていた。
本来は自宅に機器を持ち込み、血圧計や心電計を接続して遠隔地の医師が診療するためのものだが、「これを病棟に持ち込めば、非接触で状態をモニタリングできるのではないか」という発想が生まれる。
感染対策委員会などでの議論を経て、事務部門がすぐに導入の可否を打診し、実際の運用にこぎつけた。
さらに、「清掃も人が入る回数を減らせないか」という議論から、ロボット掃除機の導入にもつながった。
今ある道具を組み合わせ、別の用途に活かしていく。
困難な状況下でも、現場の発想と病院全体の連携が新しい解決策を形にしていった事例だ。
病院経営が順調な時には、その成果をスタッフに還元する試みも行っている。
院内に花を飾り、食事の内容を良くする。
そうした小さな「還元」が、現場のモチベーションにもつながっている。
看護師へのメッセージ
医療は高度化し、現場は決して楽ではない。
人手不足、業務の複雑化、日々更新される知識。
離れてしまった看護師が「戻るのが怖い」と感じる理由は、簡単に数えきれない。
それでも、篠原さんはこう考えている。
「医療は、結局のところ人がつくるものです。患者さんも、私たちも人間で、いろいろな困難は対話や挑戦を通じて乗り越えられる部分が多いと思っています。」
神戸海星病院には、国籍も年齢も経歴も違う人たちが集まっている。
その一人ひとりが、自分の専門性を発揮できる場を用意すること。
それが、看護部長としての大きな役割だ。
「それぞれ違う自分のまま、この病院でチャレンジしてほしい。役割や専門性を発揮しながら、キラキラと輝いてもらえたらうれしいですね。」
芸大志望だった一人の若者は、いま、看護という「アート」の世界で、多様な仲間と共に新しいチーム医療の形を描き続けている。そしてその現場は、兵庫県の中でも離職率の低い看護部として、静かに確かな存在感を放っている。

神戸海星病院
篠原里美


